みどりのながれ

日々のメモ

ポケモン映画 ココ 感想まとめ

 

今年(というかもう去年)のポケモン映画、ようやく観てきました!

夏から延期して冬、そしてまた緊急事態宣言と重なって

映画館の席数も半分に減る中なんとか…って感じでした。

自分が先延ばしにしすぎたせいでもあるんですが。

 

地元の映画館、祝日の朝の回だったんですが、

公開から2か月程経っているのに親子連れを中心に

けっこうな客入りで正直驚きました。

 

以下、感想です。

まだ観てない人は少ないと思うんですが、ネタバレあるのでご注意を。

 

 

全体

 映画の情報が初めて公開になった時は、

ポケモンに育てられた人間?親子?フーン…割と誰もが考えそうな設定だな…」

ポケモンに育てられたからってポケカ化するのさすがに違和感あるな」

と、かなり高をくくっていたんですが

描き方としては結構徹底していました。

 

ハイブリッドゆえの万能体質→無双主人公が生まれるのかと思いきや

どっちつかずの存在であるためできないことだらけ。

ジャングル育ちのためターザンみたいに森を縦横無尽に動けるものの、

身体は人間なので技は使えない。

 

 人間社会に関して無知すぎて到底暮らしていけないし、

そもそもポケモンに育てられたため人語が話せない。

予告とかではポケモン視点の時の普通に喋ってる(ように描写されてる)

シーンしかなかったので実はこれを知った時は結構衝撃でした。

 

アニメ・映画など創作物は言語の壁が

ご都合主義で取り除かれることがほぼ当たり前で、

とりわけメインの層がファミリー層に寄ってるとなると

その”ご都合主義”を選んだ方が観客に伝わりやすいだろうと

選ばれることが多いと思うんですが、この映画はあえて外してきました。

 

『ココ』にはザルードたち、森にすむ一般ポケモン、人間という

3つの勢力が存在していて、それらの分断と融和を描いた作品でもあるので

例外となる主人公のココや、それぞれの勢力のできる・できないが

ストーリーを通してハッキリ描かれていたのはすごく好感触でした。

 

ただ、そこに並々ならぬ制作陣の信念を感じたからこそ、

尺の足りなさを感じずにはいられませんでした。

ココとサトシが秒で心を交わし、

ザルードと森のポケモン、そして人間が一丸となるのが猛スピードすぎて

そこだけ「そんなに簡単にいくわけないだろ~!」と叫びたくなりました。

サトシは特別!とかあの場面はスピード感が大事!と

言われればそれまでなんですが、

もう少し大事にしてほしかったというのが本音。

 

あと、すごく細かいんですが、

森のポケモンの中にバンバドロがいるのにかなり違和感を感じていました。

雨の多い熱帯雨林にあのポケモンが棲もうと思うか…?

 

とはいえ、全体で気になったのはそのくらいで

あとは高水準でまとまったいい映画だったと思いました。

期待値超えは間違いないです。

 

ココ

 

本作の主人公、ココ。

ポケモンに育てられた人間という、

あらゆるメディアで展開してきた『ポケモン』ブランドの中で初となる

存在だけに、どう描かれるか気になっていました。

 

結局は両者のいいとこ取りなのかなと思いきや、

ストーリー中盤までの彼は『持たざる者』の側で

生い立ちも想像以上に重いものでした。

両親とは死別。そしてクライマックスではその両親を死に追いやったのと

同じ人間に育ての親であるザルードまで奪われそうになるという展開で、

サトシの「二度も親を奪わせはしない!」という言葉が胸に刺さりました。

そこまで痛烈に描くんだな…と。

 

一番の山場としてココが種族の壁を越えて癒しの技を使い、

とうちゃんザルードを助けるシーンがありますが、

あれについては解釈が分かれそうな描写だな…と思いました。

密かに事の顛末を見守っていたセレビィが助けた説、

種族の壁を越えてココが技を繰り出した説など…。

 

いろいろありそうですが、

自分としては『ジャングルヒール』とはっきり明言されていないので

作中の癒しの技≠ポケモンの技でないと思っていて、

種族を越えて心を通わせた”調停者”(とうちゃんザルードやココ)

たる存在がオコヤの森に祈ることで許しを得て、

直接神木から強い癒しの力を借りてるものだと解釈しました。

なので森から離れればその力はたぶん使い手であっても使えなくなるし、

掟の歌を間違って解釈していた長老ほかザルードたちには

そもそも使える資格を有してなかったのだと。

 

単純に種族の壁を超越したっていうのもいい説ですよね。

映画の展開としてベタすぎるとか、それこそご都合主義だと言われそうですが、

ロケット団ニャースが言語面で実現しているのもあって

あながち不可能な話ではないのかな…と後から思いました。

 

ゼッド博士

 

登場人物一覧を見て、この感じだと悪役この人しかないやんけ…?

って思ってたんですが、蓋を開けてみれば

歴代最高クラスの巨悪でビックリしました。

 

目的のために殺人を犯し、

ココ(アル)に対しての感情の向け方もきわめて冷徹で

ポケモンのことを敵対分子としか見ていない。

もう遠慮せずに書いちゃいましょうか。とにかくクズ!

っていうかポケモンに対する感情が希薄すぎて、

ポケモン界で生きる資格がない人物。私と代われ。

 

最終的にはザルードたち、森のポケモン、人間が一丸となるわけですから

そういう意味ではこれだけ強い悪を用意しないと

バランスが悪くなるという点では納得です。

最終的には研究員たちも離れていき、

手持ちポケモンすら用意されない(笑)という

清々しいまでの孤独のままココたちと戦い、

最後にはなぜか倒木に縛られ、駆け付けた警察に逮捕されるという

エンドを迎えるわけですが…。

それでもなお、自分は間違ってないと思っていそうなのが

ゼッドの恐ろしい点だなと思いました。

 

余談:ココがゼッドを木に縛るシーン、生かさず殺さずで

ちょっと薄ら怖かったです。あれはあれで残酷よ。

命は奪わないが自由は奪うというところがスパドン3の樽の形のボスみたい。

(絶対に伝わらない例え)

 

セレビィ

 

前売り券で配布されたりと、公開前はけっこうな目立ち具合だったので

正直「えっ? 登場ここだけ…?」となりましたが、

おそらく姿を隠してずっと見守ってますよね。

なんなら観客の視点がセレビィ目線だったかもしれないといった具合に。

どれだけストーリーに関与したかは各々の解釈が分かれそうですが、

ほとんどノータッチなんじゃないかな…?と自分は勝手に思ってます。

森の中にタマゴ(とうちゃんザルード)を置いて行き、

種族間の関係改善を図るために”調停者”たる存在を仕込むという点では

かなり重要なポジションと役割ですが。

 

初めは目印程度かなと思っていた、とうちゃんザルードが身につけている

ピンクの布(セレビィの図鑑番号251入り)が

選ばれし存在の印のようで象徴的でした。

 

ゲスト声優さん

 

今回のゲスト声優さんは世情もあってか、2名のみ。

 

ココ:上白石萌歌さん

とうちゃんザルード:中村勘九郎さん

 

お二方ともすごく上手でした…。

群れを作るポケモンということもあってか、

ほかのザルードたちとの会話シーンを中心にかなりセリフの多い

役柄だったんですが、本業の声優ではないと言われないと分からないくらい

上手に演じられていました。

 

加えてココは前述したとおり人語が話せない設定なので、

サトシたち人間との会話シーンではピカチュウのようにポケモン語(?)で

演じなくてはいけず、鑑賞しながら「めちゃくちゃ難しい役柄だな…」と

そのことばかり気になってました。

よくポケモン役を体験された芸人さんとかが

「難しかった!」って仰られたりしますが、

人間役とポケモン役の難しさを同時にダブルで経験したのは上白石さんだけ…!

 

…完全に余談なんですけど、ほかのザルード役が津田健次郎さんと

KENNさんだったのもよかったです。

 

ストーリー構成・演出など

 

伏線の張り方、回収の仕方が巧みでした。

先にパンフレットをチラ見したのは失敗だったと後悔してます。

 

画が単調になりがちな森のシーンも過去の回想を差し込んだり、

視点となる人物(ココ、サトシ、ザルードなど)を切り替えることで

舞台を森と街とで切り替え、飽きさせない画面作りをしたり…。

動きの少ないシーン(ココとサトシがゼッドがいる研究所を訪れるシーン)で

劇場の子供たちの集中が切れてややざわついたりしてましたが、

あれも大事なシーンなので切り落とせないし。

できる限り整理して切り詰めて…という仕事の丁寧さは十二分に伝わりました。

 

ポケモンたちのアクション面では、シリーズ全体で考えるとやや控えめ。

敵がポケモンではなくメカだからってのもあるんですが、

もうちょっと人間には真似できないようなパワフルさがほしかったかも。

結局制御装置をピカチュウがアタックすることで解決したので、

そこは森のポケモンやザルードたちの力で!となった方がアツかったですね。

 

ここ5年くらいでずいぶん変わった描写なんですが、

街の名もなき人たちがモンスターボール持ってないのか?ってくらい

ポケモン出しっぱなし状態で「おお、現代だな…」としみじみしてました。

 

そもそもモンスターボールに入らないというのは

サトシのピカチュウを特別と位置付けるオンリーワンな要素でもあったので、

近年の出しっぱなし精神(命名)に価値観の移り変わりを感じます。

当時は当時なのでなんとも思わなかったし

原作のゲームも技術面や表現面でかなり今と違ったので仕方ないんですが、

悪い言い方をすればボールに入れて”使役”していた状態は

道具に近くもあり対等ではなかったんですよね…。

それがよりパートナーとしてのより密接な姿になったのは

喜ばしいことでもあります。

ああ、私もポケモン連れ歩きたい…。

 

挿入歌

 

open.spotify.com

 

ポケモン映画で挿入歌を意識するって

実はかなりレアなケースだと思うんですが(すみません)、

今回はその要素が特に際立っていました。

『掟の歌』、『ココ』、『Show Window』、『ふしぎなふしぎな生きもの』。

そしてEDの『ただいまとおかえり』。

それぞれ曲が使われる場面が絶妙で、歌詞も物語に沿った深い内容で

物語の感動を増幅させてくれました。

岡崎体育氏、いい仕事をなさる…。

 

 

 

…とまあ、まとめるとこんなところでしょうか。

もっと簡潔に切り上げるつもりが

なんだかんだでこんな文章量になってしまいました…。

ってこれ『キミにきめた!』の時もそんなこと記してた気がしますね。